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キャバル稼動開始 - The Final Hours of Half-Life 2 日本語訳

http://www.gamespot.com/features/6112889/p-12.html

 City 17は巨大なスケールであり、一人のデザイナーで全体を把握することはできない。そのため、前作の時と同じように、"キャバル"によるデザイン手法が採用された(注:cabal: 秘密結社、徒党、芸術家などの同人グループの意)。複数の小さなデザインチームが、それぞれ街の一部を受け持つのだ。Half-Life 2では、最大6人のデザイナーから成る3つの主要なキャバルでデザインが行われた。キャバルは、それぞれ潜水艦のブリッジに似た大きなオフィスに陣取っていた。John Guthrieのキャバルは、運河とゾンビの巣食うRavenholm地帯の担当で、以下のメンバーで構成されていた。Guthrieの古くからの友人の Steve Bond(16歳の頃から一緒に活動を開始)、Dario Casali、Tom Leonard。「恋人よりも、こいつらと顔を合わせてる時間の方が長いくらいさ」とGuthrieはジョークを言う。いや、ジョークではないのかもしれない。

 キャバルによるレベルのデザイン作業は、ひとつの例外的なポイントを除いて前作の時とあまり変わらない。Half-Life 2では、レベルデザインは美術とは切り離されているのだ。つまり、まずデザイナーがゲームプレイを具現化し、その後でアーティストがきれいなテクスチャで飾り立てる。この新しい構築パイプラインによって、キャバルは新しいレベルをすばやく生み出していけるようになった。ステップの最初では、レベルは「オレンジ・マップ」と呼ばれる。全てのテクスチャが同一のオレンジ色だからだ。スクリーンにフキダシをポップアップ表示させる機能を使って、キャバルはスクリプト要素のデザインも行う。たとえば、最初のステップではフキダシに「将来的には、ジープを運転して、この坂でジャンプする」と表示するようにしておくわけだ。この手法により、アーティストがレベルに手を加えるよりずっと前の段階で、ゲームプレイを完成させ、ペース配分といったストーリーにまつわる課題を解決することができた。
 「オレンジマップは、ゲームの中の物理要素をデザインする上でも役立ったよ」
とGuthrieは語る。
 「自動車を持ち上げて敵の上に落とすシーンの前に、オレンジのキューブを持ち上げて試すことができるわけさ」

 2003 年の頭には、キャバルはデザインの量産体制に入り、大量のレベルに取り掛かっていた。また、Laidlawと連携して、すべてのレベルが大きなストーリーの流れにフィットするようにした。開発の初期段階では、まだまだ苦闘が続いていた。ゲームの核となる技術が、まだ未完成で不安定な状態だったからだ。動作が保証されたQuakeエンジンをライセンスして、それを基盤として開発を行った前作の時と違い、Half-Life 2では、開発進行中のValve自社製のSourceエンジンを採用しているからだ。たとえば、キャバルがデザインを開始した頃には、ゲーム中の乗り物はまだ機能していなかった。これがフラストレーションを引き起こすことになる。
 「乗り物向けのレベルを作っているにも関わらず、じっさいに乗り物がどう動くのか分からない状態だったんだ。たとえば、バギーが地面からどのくらいの高さまでバウンドするかがはっきりしなかった」
とNewellは語る。だが乗り物はゲーム中で重要な役割を果たすので、キャバルは乗り物の動きを想定して作業を進めるしかなかった。
 「不幸なことだけど、そういう想定は、よく後になって間違っていると判明したよ」

 そういった初期の懸念材料はさておき、Newellは2月の終わりにプロジェクトの状況について、Yahn BernierとJohn Stellyと議論を行った。まだNewellは、2003年のE3でゲームを公開し、年内にリリースするつもりでいた。そしてさらに、もっと正確を期したいと考えるようになっていた。スケジュールを眺め、大胆な予測を立てる。9月にはゲームは完成すると。さらにNewellの計算の精度が高まる: Half-Life 2は2003年9月30日にリリース。Newellはそうだとは認めないだろうが、果敢な目標を掲げることでチームのモーチベーションを夏のあいだ維持しようとしているのだろう、と多くの者は捉えた。Newellによると、9月30日のリリースを決定した時には、それまでに Half-Life 2は完成すると、彼自身は確信していたという。

 そしてNewellは、この野心的なリリース日をチームにアナウンスした。ほとんどのメンバーは、Newellの果敢な目標設定に驚いた。Guthrieは語る。
 「具体的にリリース日が設定されたこと自体は、良いニュースだったよ。目標とする期日ができたということは」だが、容赦ない現実が立ちはだかる。この期日では、何らかの失敗を許容する余裕は無い。じっさいのところ、ほとんど眠ることさえ許されないくらいだ。「当時(2月)からゲームを完成させる9月までの期間を考えれば、残された時間は十分あるように思えた。ただ、期日に間に合わせるために、どうやって時間を使うべきなのかについては、はっきりと分かっていなかったんだ」

 Half-Life 2チームは、とてもひどいクランチ・モードに入ろうとしていた。クランチ・モードとは、開発の激烈な佳境期間で、ゲームが完成するまで続く。この場合、望ましくは9月の半ばまでの期間ということだ。時間的プレッシャーも無く、予算にも縛りが無かった時代は、はるかな思い出となってしまった。Newell は、Half-Life 2の開発を超特急で行うことを決めた。Valveにとって、とてもストレスの高い夏となりそうだった。

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The Final Hours of Half-Life 2 Japanese

ARTICLE INFO

Date : 2005-05-15
Author : fov120
News Category : HL2 content
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